存在してるだけで嫌(竹田梨乃)

2021下半期記事, シリーズ1:不自由, 編集の教室

私にとっての不自由は、一緒にいたくない人と過ごさなければならないことです。
私がこれを不自由だと感じたのは、中学校に入って友達関係に悩むことが多くなったからです。

同じクラスのいつも話しかけてくるあの子、周りに迷惑をかけながら騒ぐあの子、存在してるだけで嫌です。廊下を向こう側から歩いてきたときはそれだけで嫌な気分になります。でも、直接嫌いだなんて言ったらもっと面倒くさいことになります。このままの関係を続けていかないと思うと、学校に行きたくなくなります。
ですが、学校には行かなければなりません。私はどうやったら学校に行きたくなるのか考えました。そして、現実的ではないですが、仲のいい子や私にとって無害な子だけのクラスを作ることを思いつきました。そうすれば楽しいし、今よりも学校に行きたくなります。
でも、仲がいい子と過ごせるようになっただけでは、100%学校が楽しくなるわけではありません。嫌いな先生、テスト期間の苦しさ、全部消えればいいのにと思いました。やりたいことをやりたいだけやっって、思い通りにいったらどんなに楽でしょうか。
しかし、ここで私は、自分が嫌なことだけ消すのは自由ではなくわがままだと思いました。人間はそれぞれ違う考えを持って生きています。だから、私のやりたいことだけやっていたら、今仲良くしている子とも合わなくなってしまいます。それでは違う不自由が生まれてしまうはずです。

私はこの文章を考えているうちに、自由ってなんだろうと思いました。それは、学校をもっと自由にするための案を考えていたはずなのに、いつの間にか自分中心に考え、結局不自由なままだと気づいたからです。不自由について考え始めた頃の私は、自由と好き放題が混ざっていました。しかし、自由と好き放題は全く違うものです。自由が何かはわからないままだけど、自分から不自由に向かっていくようなことにならないようにすべきだと考えています。