私らしさは頑張らない(竹田梨乃)

2021下半期記事, シリーズ3:面白企業にインタビュー, レギュラーコース, 編集の教室

今回インタビューした保理江さんは人を巻き込む人らしい。

私は「巻き込まれる人に迷惑だとか考えないんですか?」と聞いた。保理江さんは「迷惑だと思う。だから頑張る」と答えた。その言葉は私にとっては想定外だった。なぜなら、私だったら「迷惑だと思う。だから巻き込まない」になっていたと思うからだ。私は「頑張る」が選択肢に出てくることがとても少く、諦めの早い性格だ。

ここで、「頑張る」について考えた。
私は最近、課題の提出が遅れることが増えた。数ヶ月前から勉強が頑張れなくなり、学校も時々休んでしまう。頑張れなくなって気づいたことがある。それは、今まで頑張っていたということだ。私は自分のことを頑張れない人だと思っていた。
具体的に何を頑張っていたかというと、私は普通の中学生でいたかったんだと思う。私の思う普通の中学生は、ある程度勉強も運動もできて、当たり前を当たり前として扱えるような当たり障りない中学生だ。でも、私は普通という言葉が嫌いだ。普通なんて無いと思ってるし、普通のままでいたくなかった。普通のままでいたくなかったというのは、ある程度できるだけじゃなく、コンクールで賞を取るなど他の人よりも上に、1番になりたかったということだ。
面白人インタビューでは、自分の文章なんて紹介されなくていいと思おうとしていただけで、心のどこかで期待していた。学校の作文の課題でも、私の作文を選んでほしかった。
もしこれがスポーツだったらこうはならなかっただろう。私はスポーツが苦手だから、選ばれなくてもしょうがない。でも作文は、私が書きたいと思ったことをそのまま全部詰め込んだものだ。私が1番だと思ったものが他の人からは1番じゃなかったこと、それが悲しかった。

この間、私が書いた面白企業インタビューの文章が紹介された。とても嬉しくて、ニコニコしてしまった。本当はこれくらい当然くらいでいたかったけれど。私は完璧人間になりたかった。でもそんな能力はないから、最低でも真ん中、できたら上の人間でいたかった。

そう思ったとき、私には2種類の頑張るがある事に気づいた。
1つ目は、平均になるように頑張る。2つ目は、平均より上になるように頑張る。

保理江さんの言っている「頑張る」は、2つ目の頑張るだと思う。人を巻き込んでいるからこそ、「応援したい、協力したい!」と思ってもらえるように一所懸命やらなければならない。それができている保理江さんが羨ましい。

私は今、1つ目の「頑張る」も2つ目の「頑張る」もできていない。面白人インタビューのときに、ルールについて書いた。中学生のルールでは勉強をしなければならない。それが学生の本分だからだ。勉強は学生にとってできなければならないものだ。だけど私はどちらの意味でも勉強を頑張らなくなった。でも、できないのが嫌なのは変わってない。
冬休みに入り、私が課題を始めたのは新学期が始まる数日前だった。当然課題をすべて終わらせることはできなかった。休み明けテストも結果はまずまずだった。新学期が始まり、もとから課題を後回しにするタイプの私は金・土・日にためた分を月曜日に遅れて提出するようになった。
今までちゃんとしていた私を心配してくれた先生は、毎日の自主学習を出さなくて良いようにしてくれた。そして私は、勉強をしなくて良くなった。
しかし、やらなくなればその分おいていかれる。もう追いつけないんだと諦めていた。
ちゃんと課題を出していた頃の私は、宿題なんて無いほうが良いと思っていた。
でも、本当はやらなきゃいけないけど自分だけやらなくても良いとなると、しなくていいと言われているのに100%楽になったわけではなかった。

私は本当は何でも完璧にできる人になりたかった。でも、なれなくたって良い。いろんな事ができるように努力できる人になれればそれで十分だ。
目標が「努力できる人」の私は今、努力できていない。それでも1つ良かったと思っていることがある。やりたくないのに勉強をしていたときより、自分が自分でいられる気がする。
ちゃんとやっていたときは、やりたくない私と仕方なくやっている私がいた。やりたくない私が本物なら、やらなくてもいいのにやっている私は誰なんだろう、そんなことを思った。今は先生のおかげで、やるもやらぬも私が決められる。自分の判断の通りに動けている私は私らしいと思う。