足りなくても、余っても、(岸天音)

2021下半期記事, シリーズ1:不自由, 編集の教室

私の思う不自由は時間です。
時間が不自由だなと思ったのは、中学生になってからです。小学生までは自分の趣味に没頭できる時間がたくさんあったので時間が不自由だと思うことはあまりありませんでした。

中学生になったとき、小学校の頃とは圧倒的に違う課題の量と勉強の難しさにとても驚きました。他にも私は習い事もしているので、勉強の時間と習い事の時間、どちらもちゃんと考えなくてはいけなくなりました。私のやっている習い事は飛び込みです。飛び込みのシーズンは夏なので、夏休みの課題が全くと言ってもいいぐらい進みませんでした。課題を終わらせないといけないのは先生の圧で分かったので、終わらせなきゃいけない、、!と思ったので何日か徹夜して最終日ギリギリに終わらせました。この出来事が時間の不自由を一番感じさせました。
それからは、時間が長いともっと余裕があったんじゃないか?とか、逆に時間が短かったらどんなふうに工夫をすれば充実できるか?
でも自分の趣味に没頭できる時間もほしい。時間が足りないなら、暇な時間を削るとか?など、いろんな事を考えました。

時間が足りなくても、趣味の時間は絶対作りたい。なぜ私が趣味に時間を使いたいのか理由があります。それは楽しいからそれが好きだからです。私の趣味はたくさんあります。例えば、ゲーム、お菓子作り、裁縫、漫画や小説を読むこと、絵を描くことも好きです。
趣味に没頭している時の私の感情は”無”です。この”無”とは、何も考えない、感じないと捉えるのではなく、言い方は悪いけど周りが見えなくなる、集中するために趣味以外のことを考えない。本当に趣味に没頭している時の感情を私は”無”だと思います。”無”になっている時に私が考えていること、物作りしている時は今作っている物をどうすればもっと良くなるかとか、材料を安く抑えるためにはどうすればいいか、ゲームしている時はどのように行動すればいれば勝率が上がるか、攻撃する時のタイミングはどうするか、と”無”になっている時に考えていることは場面によって変わります。
そして、集中して出来上がった物が完成した時の達成感、それを友達に見せた時に”凄いね!”って褒められたり、ゲームで勝った時一緒にやった友達に”ナイス!”って言われることはとても嬉しいです。私にとって褒められることが一番好きなので、そのことから「また頑張ろう」とか「違うことに挑戦してみようかな」と前に進む力になります。だから私は、自分の趣味に没頭する時間を勉強する時間よりも大切にしたいです。けど、”学生なんだから趣味より勉強を優先しろ”と思う人もいるかも知れません。確かに、学生である限り勉強をおろそかにはできません。受験や検定に受かるために勉強は必須です。全く勉強しないで受かるわけ無いですから。

勉強は、テストで点を上げるため、試験に合格するため、将来のため、と理由は人それぞれだと思います。私にとって勉強は、一つの手段だと思います。しかし、逆に考えてみると”趣味が全くない、暇な時間しかない私”はどう思うか。その暇な時間が私は不自由に感じると思います。何故なら、何もしない時間があまり好きではないからです。”趣味がたくさんある私”は、暇な時間さえあれば何か行動したくなります。その習慣が日常にも反映されたのか、先生の話を聞いてる時、時々指とかを動かしたくなります。この習慣が”趣味が全くない私”にもあるのならば、暇な時間が不自由にならないために新しい趣味を探すと思います。例えば、友達と一緒にい遊んで趣味を見つけるとか、Twitterを見て面白そうだな~って思ったことをやってみるとか、何かしらのやりたいこと見つけると思います。そのやりたいこと、興味を持ったことがたくさんあって時間が足りなくなったなったら今の私と同じ状況になると思います。なので、どれだけ時間が余っていて、暇な時間しかない自分がいてもこの習慣があるのならば、新しい趣味や、やりたいことを探して、また時間が足りなくなって、っていうループになると思います。じゃあ、この習慣がない”趣味が全くない私”だったらどうするか、起きて、ご飯を食べて、寝ての繰り返しの生活を送ると思います。この生活は誰から見てもつまらないと思います。私は人生一度きりなんだから少しくらい欲張ってみいいんじゃない?と思います。