不自由の自由(湯田成美)

2021下半期記事, シリーズ1:不自由, 編集の教室

私は決めつけられたときに不自由だと感じます。

以前、先生にこれからの生き方について話をされました。
「周りの目を気にして、自分のやりたいことができなくなるのは嫌でしょ?」
という話を1時間30分されました。大学の1講義分です。長すぎます。
私が嫌だったのはその話に興味がなかったことです。私は赤川次郎さんの小説が好きなのですが、話を聞いているときも「この時間で赤川さんの本が読みたいな」と考えていました。それほど退屈だったのです。
私的には、気にしていてもいいのではないかと思いました。
それはなぜかというと、私のクラスには、周りの目を気にせずにギャーギャー騒いでいる人が何人かいるのです。私はそれを見て「いいなー」、「羨ましいなー」なんて思ったことはありません。「うるさいなー」と思いますし、周りの子も迷惑そうにしています。
「周りの目を気にしないことが必ずしも良いとは限らないのでは?」と考えたからです。私が思うには、[気にしない]には2種類あって、周りのことを考えない、自己中心的になってしまうことと、周りになんて言われようと自分の夢に向かっていく、将来的な[気にしない]の考えです。同じ[気にしない]でも意味が異なるので難しいなと思います。

また私の母はよく「女の子なんだから」という言葉を口にします。例えば、「女の子なんだから料理ぐらいできるようになりなさい」や「女の子なんだから字をもっと綺麗に書きなさい」というようなことです。
私からしたら、「料理なんておとなになってから覚えればいいじゃん!」と思ったり、「女の子であることと、字がきれいなのはなんの関係があるんだよ!」と思います。それに私の字はきれいです。性別とは関係のないことを関係のあるように言ってくるのはやめてほしいなと思います。また、私の将来の夢は警察官だったのですが、「女の子だから力ない」「危ない」「危険」などと言われ、その夢は諦めました。今は特になりたい職業などはないので、警察官になりたいというのは、改めて考えたりはしていません。母が心配してくれているというのは、その頃の私にも分かりましたが、やっぱり少し悲しかったです。

では、なんで決めつけるのか考えたところ、先生に関しては、一年生の頃に武勇伝的なことを聞かされて、その時の話も退屈だったのですが、その先生は学生時代、勉強もできず、性格も良くはなかったらしいのです。その時自分の縛られない生き方がその先生は楽しかったのかなと考えます。それで、私達にも同じように自由に生きてほしいと思って、教えようとしたのではないかと思います。
 
母に関しては、きっと母も私ぐらいの頃に、同じようなことを言われてきたのでしょう。私の母は頭も良くて、料理も上手で、家事もしっかりできるとてもいい母なのです。母はきっと私にも「自分のようになってほしい」と考えているのだと思います。「女の子=おとなしい、頭がいい、料理完璧」という考えを持っていて、それを私にも教えようと、「女の子なんだから」というのだと思います。しかし、私自体が性別にとらわれるのを嫌っているので、あまり響かないのかなと考えます。

逆に、決めつけられて助かったこともありました。それは入る中学校を決めるときです。母に、「あなたは英語が苦手なんだから、英語に力を入れてる学校に入りなさい」と言われ、今の学校に入りました。私は、英語は「苦手」というよりも「英語って何?」くらいの考えだったので、英語を勉強して、まだレベルは低いのですが話せる言語が増えて嬉しいですし、その頃どこにどんな学校があるのかさえ分かっていなかったので、決めてくれて少し楽になりました。

また、決めつけられるのが不自由だと考えていますが、私にも決めつけていることがありました。私は、熱中症や貧血になりやすく、よく体調を崩すのですが、前に体育の授業で体調を崩したときに保健室まで連れて行ってくれたのがいつも教室で騒いでいる女の子でした。
私は、その子は友達のことなんて考えていないと思っていたのでとてもおどろきました。意外と友達思いで、とても心配してくれていたし、ジャンパーを貸してくれたりしたので、自分も決めつけていることはあったんだなと気づきました。