「No study No life?」(井本雄大)

2021下半期記事, シリーズ1:不自由, 編集の教室

僕にとって不自由なことは好きなことを周りから制限されることです。

僕は野球がとても大好きで、見るのも、自分でするのも、野球と向き合っている時間は何をやっても楽しいです。ですが、野球とは対照的に勉強をやっている時間は面白くない時間が多く、「早く終わらないかな」と思っています。

僕は中学2年で来年には高校受験が控えていて、勉強をするのも大事なのはわかります。でも、テスト期間は勉強に集中するため、クラブを停止するなどの決まりは、逆に生徒たちに対して苦痛を与えるだけだと思います。僕みたいに、勉強が苦手、嫌いと思っている人は多いと思います。そのため、少しの時間でも好きなことをやって、リフレッシュするのも大事だと思います。僕は勉強をしている時間はとても嫌いです。でも、僕とは違って、勉強している時間がすごく幸せだと思う人も、ひょっとしたら、いるかもしれません。そういう人からしては、僕が不自由だと思うことも、「何が不自由なの?」と思っていると思います。でも、他の人と自分の思っている事、考えている事は人それぞれ違います。なので、なかなか決まりを変えるのは難しいです。

それもまた、不自由なのかもしれないです。

僕は先週、野球の大会がありました。僕はいつも試合に出ているわけではなく、どちらかと言うと控えメンバーの1人です。ですが、先週の試合には出ることができました。久しぶりの試合だったので、とても嬉しい気持ちで胸がいっぱいでした。ですがこの日は、試合に出られた嬉しさが溢れてしまい、いつも練習ではできることができずに、監督に怒られてしまいました。ですが、野球関係で怒られても、僕は逆に自分の成長へのアドバイスだと思い、あまり苦痛ではありません。なぜそう思うかと言うと、本当に野球というスポーツが好きで、真剣に向き合えているからだと思います。野球が好きな理由は「泥臭くただ白球を追いかける」というかっこいいポイントに惹かれたからです。

でも、野球とは違って、勉強面で怒られたら、僕はすごく嫌な気持ちになります。それは勉強が苦手だからだと僕は考えました。好きな教科に対しては、あまり苦手意識を持たないのですが、やはり嫌いな教科だと興味を持って勉強をできないし、やりたくないとどうしても思ってしまうからだと思います。勉強が得意な人もいれば、苦手な人もいるのは当然です。でも、やはり勉強というものは生きている間はずっと付き合わなければならないからこそ、勉強が苦手な人からしたら、勉強というものに縛られていること自体が、不自由なのだと僕は考えました。

でも、もしかすると勉強に縛られているのではなく、好きなことができないから、勉強が嫌いになっているのかもしれないと僕は考えました。

なぜ、そう思うかと言うと、自分自身が野球というスポーツが好きで、それに対して勉強という存在があって、そのせいで好きな野球をできなくなることが苦痛なのだと思いました。勉強が苦痛というよりかは、野球という存在があって、それを阻むように勉強があるから嫌いなのだと僕は感じました。

でも、勉強がもしなかったら、僕だけではなく、皆が生きていけなくなると思う、好きなことだけしているだけじゃ、かたよった生活を送ることになり、楽しいとは何かをわからなくなると思った。そのために勉強は必ず向き合って、共に生きていかないといけない存在なんだと僕は思いました。
勉強は世界のことや、人とのコミニケーションや雑学など、色々なことを学ぶこととができるので、決して自分にとってマイナスなことではないと僕は思いました。