興味は後からついてくる?(鴨谷惟名世)

2021下半期記事, シリーズ2:面白人にインタビュー, 編集の教室

「え、そうなのかな」
こう感じたのは、2012年ロンドンオリンピック柔道の銅メダリストで起業家の西山将士さんにインタビューさせてもらい、「興味は後からついてくる」という言葉を聞いたときだ。

例えば、自分は漢字の反復練習ししゃべれるようになるのが大事だと言われる中でわざわざ日本語を更にややこしくする等の漢字関係の物が嫌いなものの一つにある。
今から英語を読み書きするのが重要視されてくると言われている。漢字を何回も書く意味が分からない。興味もない。
でももしこの漢字の反復練習をやり始めたら漢字に興味が出てきて好きになるのかというとならない可能性も十分ある。

漢字の反復練習に限らず興味のないものをやって興味が出てこないことがたくさんあるはず。この言葉に関しては自分の解釈が少しずれていて、全てのものに興味が出てくるみたいな感じではなく興味が出るときは後から来る、みたいな意味だったように感じた。でも、解釈がずれていてもこの質問への答えは自分はあまり考えたことのない考え方だった。

興味がでないんじゃないか、時間をベットし、興味のあることを探すギャンブルは当然その分野をある程度まで深掘りしても全然興味が出てこないこともたくさんある。もし興味が出ない物だったらそれにベットしていた時間やその他の物は無駄になってしまうんじゃないか。と考えていたが、もしこうしていて時間を賭けずに他のことをしていたら絶対興味があることにはたどり着くことはできないし、賭けた時間もこれには興味がわかなかったなという結果を得れるし少し深掘りしていたならもしそれの話になった時いろんなことを考えて意見を言えるかもしれない。だからまずやってみるというあまり損しないギャンブルはやってみてもいいな、と思えた。

更に、d-staの文章を書いてる中で探究とは何なのか?という問いの中で、一人一人で解釈が違う物なのかと思っていたけど自分の人生の中でその時はまっている分野によっても変えていく人もいた。

まだ質問できてないけどなぜ自分が深掘りしている分野である程度の結果を収めることができているのになんでわざわざ別の分野に踏み出したのかな。もし自分ならその分野で活躍出来たならその分野で形を変えてやっていけると思う。

じゃあなぜその分野で一生やっていこうと思わなかったのか。
自分で勝手に可能性を考えた。
・自分じゃやっていけない(上には上がいる。自信がない)
・やっていくことを重要視していない(楽しい、役に立ちたいとかそういう価値観)
・その分野にいる人が嫌い(嫌なコミュニティから抜け出したい)
・神からのお告げ
等色々な可能性があると思う。確かにその分野で役に立たないとか理由があったら他の分野に踏み出すかもしれない。
でもオリンピックに出てる人やスポーツのプロのような人は若い時は試合に出て、引退したらその肩書きを売りにしたり解説をしたりその分野でやっていける。

最近はそういう人についてあまり考えたことがなかったけどちょっと前はスポーツ選手はcmやTVの番組等会社等と契約してお金をもらって生きていくしかない人たちだと思ってたけど今はやりがいや人それぞれの価値観、夢があるからお金は最低限でいいけどスポーツ選手になる人もいるのかもしれない。スポーツ選手はその競技のプロとしてその競技を切磋琢磨して極めていくようなことをしている人たちなんじゃないか。ある意味その分野の探究者と捉えることもできるかもしれない。でもその掘るスピードを途中で減速し他の道を掘る人たちもいる。

あるちょっと変な人がこの文章を見てくれた時、成功したらあえてその地位を投げ出したい、と言っていた。
「えーその視点はなかったな、、、」ここで自分が思い出したのはこの文章の最初に書いた、やりたいことを見つけるギャンブル。

これをする時にやっては放り出してっていうのを繰り返すやり方もあるはず。実際最初に自分が考えたこのギャンブルのイメージはこんな感じのものだった。もし成功する人がこのギャンブルをしているなら、一回やってみては放り出す。全てじゃないけど積み上げたものを取っ払う。

成功した人には放り出す勇気があるのかもしれない。
全く同じ人生はないしどの人生が悪いというわけでもない。
でもそんな中でも縛られずに生きている人たちはなぜかかっこよく見える。
お金や他の人の価値観、みたいなものに無理に合わせない生き方もあるなと感じた。

そういう人生もいいかもしれない。