疲れた私は道を見下ろし、そして思う(崔ゆい)

2021上半期記事, シリーズ1:不自由, 編集の教室

私は歩くのが嫌いだ。何故なら自他共に認めるほど体力がないからだ。小学校でシャトルランをやった時だって、私以外の子達は大体50回は走れていたのに私だけ20回という結果で最下位。いつものことだから、気になりはしなかったが、、、。
話が変わるが、私が今の学校を選んで嬉しかったことがある。それは校庭がないことだ。校庭がないことで、私のような体力がない人達にとってはまるで地獄のような、「鬼ごっこ」というものをやらなくて済むし、100メートル走もやらない。私の中学校生活一年目で、それだけ喜びを感じたことは他にないだろうと思う。

私がこんなに体力がなくなった原因は、自分でもよく分からないが、大体5年生の頃からすごく何かに気だるさを感じ、それから体力が無くなっていった気がする。はっきり言うと、私の体は老化している。特にどこが老化しているのかと言えば、(まぁ、全体なのだが、、、)足と手だ。ゲームという私の好きなことをしていても、結局は持っている手が疲れるのだ。でも「体の老化は自然現象だから別に良いや」と全てをポジティブに捉えてしまうという悪い癖があるので、運動する気にはとてもなれなかった。

でも、時々「楽しい」と言う気持ちが、「疲れ」というと言う気持ちに勝ることもある。それは友達とどこかに出かける時だ。友達とショッピングに行った時は、疲れも忘れて楽しんだし、ディズニーに行った時もすごく楽しかった。でもやっぱりそれも距離や時間の問題だった。ディズニーに行った時はかなりたくさん歩いたので、帰ろうとした瞬間、急に足が痛くなり、どっと疲労が押し寄せてきた。ショッピングの時は友達と解散して10分くらいは「楽しい」という気持ちが勝っていたが、最寄駅に着いた瞬間、まだ微妙に残っている頭の中の楽しいメロディーと一緒に私の大嫌いな歩く時間というものがやってきたので、何だか変な気持ちだった。
このように、良いこともあるかもしれないが、結局は歩くことが疲れるのは変わらないので、これからもできれば歩きたくないと思う。そして勝手に足が進んでくれるような歩道があれば良いのにと、今、思った。