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好きなものとその人らしく(湯川 仁那)


私が今回インタビューさせて頂いたのは藤原友子さん。
整理収納アドバイザー、整理収納教育士であり片付けについての本を何冊も書かれている方です。
私は昔から片付けが得意で、実際にそれを仕事にしている方に興味を持ったのでインタビューさせて頂きました。

仕事になさっているほどだから子供の頃から片付けが得意なのだと思っていたのですが、なんとそうではなく結婚してから楽しくなったそうでした。仕事にするつもりもなく、本当にただ楽しいからやっていたらしいです。
その後片付け自体についてお話ししていたのですが、そのなかで私が驚いたのは「片付けはその人らしく生きるための手段だと思っている」「それが選ぶ片づけ」という言葉でした。
というのも、私は片付けのことをただの掃除としか思っていなかったからです。

そのように話していると、気が付けばインタビュー時間が残り半分を切っていました。
実は私は片付けが大の苦手です。けれど、インタビューの前半では得意だと言う嘘をついてお話しさせて頂きました。後半は藤原さんに苦手ということをお伝えしてからのお話しです。
藤原さんは意外なことに(嘘については驚いていましたが)それ以外はあまり変わりがなく逆に私が驚いてしまいました。

その後は藤原さんの片付けについて、「みんな綺麗にすることが片付けだと思っている」「片付けは自分の好きなものと暮らしていくっていうことかな」「がんばりすぎなくていいんだ」「もうちょっと楽にしていこうっていうのを大事にしていきたい」などのことを伺いました。

可笑しな話ですが、自分は片付けが好きだと嘘をついていた時本当に片付けの全てを知っているような気分でした。片付けを考えていないときは無いという様な調子で。本当に変な話です。
けれど藤原さんの話を聞いて、どれだけ上手な振りをしてもやっぱり自分は片付けについて知らなかったのだなと思いました。というのも、片付けが部屋などを綺麗にすることだけではなく「自分の好きなものと暮らしていく」なんて考えがあるとは想像もしていなかったからです。
片付けが目的ではなく、なにかをするための手段としてというのはとても素晴らしいことだと思いました。

それらを聞いて片付けに対しての色々な考えは理解しましたが、自分の中で片付けと言うものが分からなくなってしまいました。
では、そもそも片付けとは一体何でしょうか。
片付けという言葉の意味は「散らばっているものをきちんとした状態にすること。また、ごたごたしている物事を整理すること(goo国語辞典、デジタル大辞泉より)」だそうです。そして同じような意味でつかわれる片を付ける、について調べてみると驚いたことに「方を付ける」と言う言葉が見つかりました。
方を付けるとは「物事の決着をつける。始末をつける(goo国語辞典)」「争いごとなどについて解決を図ること。特に「金で方を付ける」などといった具合に、金銭的に決着を図る場合について使われる言い回し。「ケリをつける」とも言う(実用日本語表現辞典)」そこまでなら私も知っている内容だったので何とも思いませんでしたが、その二つに付け加えられていた共通の言葉でその意識が逆転しました。なんと、「「片を付ける」とも書く」と補説されていたのです。
そうだとすると、片と方は同じ意味という事になります。ならばどの意味が共通しているのでしょうか。
まず、片には「かた。かたほう(goo国語辞典)」と言う意味があります。これは片面や片道など日常でもよく使う意味です。そして驚いたことに、方にも「対として考えられるものの一方。人数を二組に分ける場合にいうことが多い(goo国語辞典)」という意味があったのです。
ここからは私の予想ですが、方を付ける(または片を付ける)という言葉には片方だけの対であるものへもう片方を付けて完成させるという意味も含んでいるのではないでしょうか。頭の中での想像図はパズルなのですが、別れているものを本来の形に戻すというのは片付け自体に通じるところがあると思います。ごちゃごちゃしている部屋をもとの綺麗な部屋へ戻す、のような。

話は変わりますが、実はインタビューの前半では私は片付けが得意だという嘘をついてお話しをさせていただきました。
というのも、片付けが苦手という方とは藤原さんは散々お話をされてきたのではないかと思ったからです。それだと私だけが聞き出せることは無い、だったら「苦手では無い自分」で聞いてみよう、と。ですが先程も書いたように、本当にただのふりや受け売りで自分の考えではありませんでした。正直、自分だけが聞き出せたことと言うのはなかった様な気がします。
けれど、片付けが嫌い、知識もない、そんな状態だからこそ先程のように概念から調べて、そして深く考え新しい考えを持つということが出来るんじゃないかと思いました。

私は片付けが嫌いです。苦手です。部屋の床が見えなくても問題は無いと思いますし、服なんかあったものを手に取るだけです。ゴミはその時動けるなら捨てますが大体積もってからゴミ箱に入れますし、使い終わった道具は机の上に散乱しています。
ですが、たまに汚い部屋がとてつもなく嫌になるときがあります。こんな部屋に住んでいるなんてありえない、こんな所で過ごしたくない。そんなとき、浮かぶ考えは「片付けしなきゃ!」ではなく何故か「全部燃やしたい」でした。
今思うと、あれは片付けを目標にしてしまったが故に生じためんどくささが原因ではないでしょうか。汚い部屋に居るのは嫌だけど片付けは面倒だ、いっそ全部燃やして無くしてしまいたい、と。自分で片付けずに居て何を無茶苦茶なという話ですが、これを考えたとき自分の中で納得できてしまったので確実にそうです。それは今も変わっていません。プリントの山を見ると全部まとめて捨ててしまいたくなります。きっとそれは今後も変わらないでしょう。

そんな自分にとっての片付け。
例えば部屋の汚さには無頓着の私でも、流石に虫が出たら泣きながら一日で片付けを終わらせます。だって虫がいると快適じゃないから。いくら面倒が嫌いでも、その後の快適のためならあまり苦にはならないのです。そう、苦にならない。部屋に虫が住まないようにするという目標があれば片付けができるように、片付け自体ではなく先ほども書いた「本来の形に戻す」というのを目標にしてみる。それが、自分が楽しい片付けかもしれません。
それは藤原さんの「自分の好きなものと暮らしていく」ととても似ていて、そこを自分の一番快適で過ごしやすい空間にするための手段。「自分の空間を作る」。そういう事じゃないかなと思いました。

と論理的に書いても宿題と同じように(未来のためとはわかっていても学校から押し付けられているように感じて嫌になってしまうような)ことはある気がします。正直書きながら、実際に片付けをするときにこんなこと考えられるか?とも思いました。
でも、この機会が無ければ考えることもなく苦手意識しか残らなかっただろうので、本当に貴重な機会でした。一度考えたことは忘れたと思ってもどこか心の隅に残っているので、次に片付けをするとき少しでも思い出して楽しくなればいいなと思います。

余談ですが、この記事の中に「片付け」という単語は何回出ていたでしょうか。特に数えても良い事もありませんし、自分で数えたけれどどこかでミスした気しかしませんが、天井のシミを数えるよりは有意義な可能性があるのでお暇な方は是非チャレンジしてください。ちなみに私は35個でした。





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