人類 〜究極の問い〜(井上 月)
私は真面目に生きている。
自分の生き方を持ち、着実に歩みたい。
そんな私が、インタビューをすることになった。今回は、中学生に
「真面目に生きなくてもいい」
ということを伝えたいという、YUUKAさんにインタビューをした。
インタビューをしてみて、私が学んだことは
“先入観を持たずに人と接しよう”
ということだ。以前から、先入観を持たずに人と接することは意識していた。
しかし、今となっては「できていた」と断言はできない。
実際にインタビューがはじまると、私の頭は真っ白になった。
(え、本当は真面目なんじゃない?)
YUUKAさんは私の中の「真面目」に位置しているのではないか、そのような仮説が私の頭に浮かんだ。
ただ、インタビューを進めていく中で、YUUKAさんと私の真面目の基準が少し違うのではないかという違和感を感じた。
《インタビューにて》
YUUKAさん「中学生・高校生の頃は、周りに求められる自分を演じて生きてきたんですけど、大学に入って、世界が広がった時に自分らしく生きてきた人が輝いていて、かっこいいな、と思ったのがきっかけで、真面目に生きなくてもいいんじゃないかと考えています。周りに気を使いすぎて、気づかないうちに自分に迷惑をかけてないかなって。」
私の考える「真面目」とは自分なりの生き方、考え方を持っている人である。でも、YUUKAさんの考える「真面目」とは周りに気を使い、迷惑をかけないように自分を演じている人というような認識ではないだろうか。真面目の捉え方に少し違和感を持ったものの、さらにインタビューを進めると、やはりYUUKAさんは真面目ではないか、と思い始めていた。
《インタビューにて》
YUUKAさん「友達と3人で遊びに行くとするじゃないですか。そのとき、2人の友達がパンケーキを食べたくて、自分がワッフルを食べたかったとします。その時、真面目な自分なら2人がパンケーキを食べたいなら、と自分の気持ちを押し込めてしまうと思うんですね。でもそれは、2人の意見を通したから、まるで良い選択のように感じるかもしれないけれど、それは違うと思います。なぜなら、その3人の目的は“3人で楽しい時間を共有すること”だから、3人が楽しくないと意味がないと思うんですよ。」
私はそこで、YUUKAさんは真面目であると確信した。1つのことに「目的」を考えた上で話していたからだ。それに加え、YUUKAさんと私の根本の部分の類似を感じた。私は、物事に「目的」を見出したいし、自分なりの生き方、考え方を持つ“真面目”な人間に憧れる。私とYUUKAさんは立っている位置こそは違うものの見ている方向性は同じような気がした。
私はインタビューが始まった時、YUUKAさんの具体例を挙げた話し方や考えが芯を通っている点からイメージと違う、と驚き、頭が真っ白になってしまった。それは、私がYUUKAさんに対して勝手な先入観を持っていたからだと思う。きっと、髪の毛の色を変えたり、真面目に生きなくても良いっていうくらいだから、何にも考えていない人かな、と無意識のうちにイメージしていた。いくら意識していたとしても、自分の中で空想上のYUUKAさんを作り上げてしまっていたのだ。そこから、“先入観を持たずに人と接しよう”ということを学んだ。先入観を持つことは悪いことではない。しかし、その上に空想上の人物を作り上げないことが大切なのだ。
インタビューを終えて、改めてYUUKAさんと私の共通点や相違点を振り返った。共通点は、YUUKAさんが私の中の真面目に位置していることだ。相違点は、YUUKAさんが今の楽しさを大切にしていて、私は将来の自分を大切にしているという点だ。ここは大きな違いだ。「今」が大切か、「将来」が大切か。これは人類の究極の問いである。私は、それらを同じ天秤にかけて比べるべきではないと考える。人生は1度きり。今を楽しんで生きることだって大切であるし、一方では将来を考えて、夢の実現のために努力することも大切である。それは、私とYUUKAさんのように、立っている位置こそは違うものの、見ている方向性は同じなのだと感じる。それらは互いに関連し合うことはないかもしれないが、その生き方を認め、理解することが必要であるのではないだろうか。