小田急沿線でしか取り組めない、わけじゃないと思うんです。[D-Stadium編集部・企業インタビュー:小田急電鉄株式会社]
新宿と多摩⽅⾯・⼩⽥原⽅⾯・江ノ島⽅⾯を鉄道で結び、沿線都市開発もおこなう⼩⽥急電鉄株式会社。いま、沿線開発は街を「つくる」だけでなく、街での暮らしを未来に「つなげる」⽅にも拡張しているそう。その⼀つが、2021 年 9 ⽉に始動した、ウェイストマネジメント(廃棄物管理)事業「WOOMS」。なんでも「“ごみ”のない世界」を⽬指しているのだとか。
沿線住⺠が増えれば鉄道の収益も上がる。それは想像がつく。でも、算盤勘定だけで鉄道会社が“ごみ”に進出する?
WOOMS 担当者・⽶⼭麗さんに、何が⽶⼭さんを衝き動かしているのか、お聞きしました。
「我々の存在価値ってなんだろう」と沿線を歩きまわったあの⽇。
⽶⼭さん:
私は新卒で⼩⽥急電鉄に⼊社しましたが、今も昔も、「電⾞が好き!」という感情はほとんど持ち合わせていません(苦笑)。⼤学で都市計画や街づくりを学んでいたので、沿線開発に携わりたかったんです。⼊社後は運よく、ほとんど沿線開発、街づくり関連の仕事を経て現在に⾄ります。
いまでこそ暮らしに根づく“ごみ”の事業を担当していますが、⼊社当時やりたかったのは、街の⾊をガラ ッと変えるようなスケールの⼤きい都市開発プロジェクト。実際に参画させてもらって、何⼗億という不動産投資からこの先半世紀にわたってキャッシュを継続的に⽣み出す装置をつくる仕事にやりがいを感じていました。
転機になったのは、2008 年のリーマンショックです。当社もご多分にもれず、急転直下で「明⽇からは1 円も投資できない」⽅向に舵がきられました。「⾃分たちの存在価値ってなんだろう?」「これから我々が街づくりでできることって?」と上司や職場メンバーと⽇がな⼀⽇喋る⽇々が、どれだけ続いただろう。とにかく沿線を歩きまわって、「お⾦がないなかでもできること」を延々探し続けました。
半年か 1 年ほど経ってなんとか捻り出したのが、いまも代々⽊上原にある「ノードウエハラ」です。9 ⼾の賃貸住宅に加えて、1 階・地下 1 階に⼩⽥急系列の飲⾷店が⼊る物件。飲⾷店を基点に地域と連携して、そこが⼩⽥急線の情報発信のハブになることを掲げて、当時企画しました。
⽇銭数億の鉄道会社からすると⼩額のプロジェクトでしたが、それでも当時は状況が状況ですから、投資判断では厳しい⽬を向けられましたね。なかなか理解を得るのが難しかった「ハブになりたい」はいったん脇に置いて、「賃貸住宅でしっかりキャッシュを稼ぎます」で押し通して、最終的に認めてもらいました。想い描く世界観は、ノードウエハラが私たちの⼿を離れて⾃⾛しはじめれば、その姿がファクトになるからと。
あのとき、ノードウエハラの⾃⾛に向けて試⾏錯誤するなかで気づいたのは、「商業施設の繁盛をテナントさんだけに任せるのは、他⼒本願ではないか」ということ。この空間の世界観────お客さまにどのように快適に過ごしていただくか、楽しい体験をしていただくか────を装置のつくり⼿とテナントがともに考えていく座組みや、⼀緒に街の⼈たちに伝播させていく関係性構築の必要を、強く感じました。
先⽇、⼩⽥急⼩⽥原線の地下化に伴う線路跡地が「下北線路街」としてオープンしました。下北線路街は、ノードウエハラで苦楽を共にした上司がリーダーをしているんです。あえてチェーン店を迎えずに個⼈経営のお店に集まっていただいた点なども、ノードウエハラで築いたマインドの伏流だと思います。
100 年続けた「安全運⾏して当たり前」と、街づくり。
⽶⼭さん:
ノードウエハラに携わってから徐々に、箱・装置といったハードを設えることよりも、ハードがその地域でどのように機能していくか────ソフトとしての街づくりをやっていきたいと志向するようになりました。20〜30 年前の開発物件が順次⽼朽化・陳腐化していくなかで、建て替えや⼤規模修繕といったスクラップ&ビルドは相当な投資が必要なうえに、サステナブル(持続可能)じゃないなと。
これも私⾃⾝が企画したわけではないのですが、もともと⼩⽥急電鉄の社宅だった団地をリノベーションした「ホシノタニ団地」というプロジェクトがあります。全室を無垢フローリングなどで改装して賃貸化したほか、団地の⼀⾓を貸農園や⼦育て⽀援施設にして地域の⽅にも開放しています。「つくる」だけではなくて、未来に「つなげる」やり⽅でも、箱の価値は⾼めていけると思うんですよ。
⼿前味噌ながら、沿線でこういったプロジェクトをスタートするとき、「⼩⽥急電鉄がやります」というと警戒されにくい実感があります。地域の⽅々にも、⾃治体にも。おそらくそれは、鉄道が安全・安⼼の定刻運⾏が当たり前の機関で、当社もおおよそ 1 世紀────もうすぐ創業 100 年を迎えます────にわたって粛々とお客さまを⽬的地にお運びしてきた点が⼤きいと思っています。ときどき天候や事故で遅れることもありますが、その際も早期回復に向けて⼀体となって対応する現場姿勢に、沿線の皆さまから信頼を寄せていただけているのではないかと。「⼩⽥急だったら変なことはしないだろう」って。
ごみ収集も鉄道も、街のインフラを⽀える現場しごと。
⽶⼭さん:
沿線の街のサステナビリティ(持続可能性)は、すなわち、住⺠の⽅々の暮らしの持続可能性といえます。暮らしていて気持ちいい街には、⽣活インフラの安定が重要。鉄道事業で沿線の皆さまの“⾜”としてなりわっている当社だからこそ、協働を通して、ほかの⽣活インフラの担い⼿と理解・共感しあえる仲間になれるのではないかと考えました。
数ある⽣活インフラのなかでなぜ“ごみ”か、というのは WOOMS の事業ビジョンのとおりなのですが、実際にごみ収集の現場にいる⽅々とコミュニケーションをとっていくと、鉄道の現場と雰囲気がすごく近しかったんです。
例えば、休憩所でお⾵呂や⾷事をともにする、技術継承をほぼマンツーマンでおこなうといった労働⽂化や、いわゆる 3K といわれがちな労働環境、災害時や緊急事態におけるチームビルディングなどの危機管理態勢‒‒‒‒‒⾔葉少なでも、鉄道に重ね合わせて苦労している⾯を汲み取れた。先⽅からも「わかってくれたようだ。きっと無茶なことは⾔わないだろう」と⼼理的安⼼感を抱いてもらえたのを、肌で感じましたね。
ごみ収集の仕事は、ともすると鉄道よりも⽣活のなかで「あって当たり前」の度合いが⾼いかもしれません。⼤⾬でも暴⾵でも基本的には収集しに⾏くし、台⾵や地震などの災害廃棄物も⽇々の収集と並⾏してやらないといけない。避難所が開設されればルート増設も必要。市井の⼈の⽬に触れにくいところで、粛々と復旧と⽇常化を進めていくあたり、ほんとうに縁の下の⼒持ちだと思います。
⽬下の⽬標は、1 ⽇もはやく WOOMS をビジネスとして⾃⾛させること。いまは沿線⾃治体を中⼼に、パートナー探しに奔⾛しています。⾃治体も鉄道会社も、住⺠の⽅々がいないと成り⽴たない点では⼀蓮托⽣なので、サステナブルな地域づくりに向けて⼀緒に取り組んでいけたらと。
将来的には、私の野望に近いかもしれませんが、⼩⽥急電鉄だから⼩⽥急沿線でしか取り組んではいけない、わけではないと思うんです。街づくりって。⼩⽥急沿線だけで“ごみ”の社会課題が解決されてもし ょうがないですし。責任をもって、地元の信頼に背くことなく実⾏して実績を積んでいけば、沿線外の地域でも「⼩⽥急だったら変なことはしないだろう」と迎えていただけるんじゃないかと。⼩⽥急沿線以外の街でも、街づくりの担い⼿として、“ごみ”から⽣活インフラに携われたらうれしいですね。
中学生の取材を受けて
暮らしの本質をつく質問に、揺さぶられました。
中学⽣からの質問はどれも、彼⼥たちの暮らしの実感に基づく内容で、いつの間にか固定化していた価値観が揺さぶられました。「早く⾏ければいいわけじゃない」「電⾞の待ち時間も、友だちとしゃべれる絶好のチャンス」など。私の移動の価値の⾼めかたは「効率」に傾いていたかも。インタビューされた側ですが、⾃分が気づかなかった⽬線を与えてもらった時間でした。
■D-Stadium「編集の教室」に参加の中学生が書いた企業インタビュー記事は、こちらから。